日本の文化の集大成としてのアート

このアートには、日本の文化と日本の美学を内包しており、ある意味日本美術の集大成のひとつです。
みかんの皮アートは逆の意味で折り紙をほうふつさせます。といいますのも、折り紙では、平らな四角い紙から立体的な形を作りますが、このアートは球体から平面作品が生まれるからです。

制限がもたらす日本の美

それはつまり、みかんの皮アートと折り紙のどちらも、制限の範囲内でアート作品が作られることです。 折り紙はその他の数多くの紙工作とは異なり1枚の正方形の紙だけを使用して、何も取り除かず追加したりせずに作品が作られます。それはつまり、製作にはかなりの制限があることを意味します。しかしながら、その制限が折り紙に面白みを与え折り紙の評価を高めているのです。      
同様に、このアートもみかんを1枚丸ごとむくというルールで作られており、その制限によって面白さが増し、芸術的な価値を高めているのです。

制限の範囲内で効率と美しさを求めることは、日本の造形芸術の中でよく見られることです。たとえば、枯山水は石と砂だけで自然の美しさを表現し、それのみならず宇宙おも表します。

偶然から生まれる必然的なデザイン

したがって創作者でさえ好きな形を作ることはできません。それでいて、創作者が思いもしなかったほどの美しい作品が作られることは大きな驚きです。そのデザインの成立過程においては「偶然」もまた大きな要素となりますが、再び丸めたときに一つの丸いみかんに必ず戻るわけですからその形は「必然的なデザイン」でもあるのです。

妥協がもたらす調和の極み

みかんの皮アートをデザインするにあたって、特定の部分を取り除きたければ、その部分はそこに接する反対側の部分から譲り受ける必要があります。
また、取り除きたければ別の部分で再利用される必要があります。それはまるで質量保存の法則が働いているようです。(笑)
作品を作り出すためには他の部分を考慮した形を作る必要があります。つまりそれは周囲との「調和」を求めるということです。

それぞれの部分が自己主張することなく、残りの部分とよく言えば調和、悪く言えば妥協を追求することによって出来上がるわけです。ですから、その形は最初に思い描いたデザインとは異なってしまいます。しかし、驚くことに「調和」による創造の結果は当初意図されていたよりも魅力的です。

さまざまな意味で日本的なアート

ゴミとして捨てられるはずのみかんの皮に価値を与えることは、日本人が持っている「もったいない」という価値感にも共通します。
また、ミカンは日本を代表する最も伝統的な果物です。それを用いたアートはですから非常に日本的な芸術だといえるでしょう。この芸術が、これから日本の新しい伝統文化の始まりになることを願っています。